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平成27年8月
 
ブラジル佐賀県文化協会60周年記念式典への祝辞
『船出の地としての誇り』

 ブラジル佐賀県文化協会創立60周年を迎えられるにあたり、83万佐賀県民を代表してお祝い申し上げます。
 今年は日本ブラジル外交関係樹立120周年及び戦後70周年の節目の年でもあります。このような年に協会創立60周年の記念式典が、多数の皆様のご参加の中、盛大に開催されますことを心よりお喜び申し上げます。

 1822年、ブラジルが独立を果たした年に、佐賀の八賢人の一人に数えられる島義勇は佐賀城下で生を受けました。彼は明治維新の頃に北海道に赴いて、札幌の開拓の指揮などで大きな働きをしました。寒さの厳しい北方の地における開拓は、苦労の連続であったようです。今では、札幌は人口190万人を超える大都市となり、島義勇は「北海道開拓の父」として、現地で多くの人に親しまれています。

 しかしながら、佐賀においては島義勇の功績を知る人は少なく、彼を顕彰しようとする動きはあまり盛んではないのが現状です。佐賀県の誇り、八賢人に挙げられるほどの大きな功績を残していることを思うと、誠に残念なことだと私は感じています。

 1910年、希望を胸に渡伯された本県出身の15家族60名の方々を先駆けとして、戦前戦後を通じて4,000名を超える本県出身の方々が海を渡られました。未開拓地の過酷な自然環境や労働環境、不慣れな言葉、文化風習の違いなど、それを克服するためのご労苦は、島義勇が感じたものにも匹敵するようなものであっただろうと思います。そのような状況にもかかわらず、本県出身の方々がブラジル全土で日本人移住者に刺激を与え、ブラジルの発展に長らく貢献されてきたことは佐賀県民として大きな誇りです。
 この記念式典に参加されている皆様は、遠く海を越えても佐賀県人としての誇りを持ち、開拓者の方々の顕彰を続けておられています。ふるさと佐賀、船出の地に住む私たちは、そうした思いにしっかりと応えていかなくてはならないと強く感じています。

 2015年7月、幕末から明治における日本の産業革命遺産の一つとして、「三重津海軍所跡」が、ユネスコの世界文化遺産に佐賀県内から初めて登録されました。これを機会に、佐賀に数多くある先人の貴重な遺産とその功績にあらためて光をあてることで、地域の誇りを取り戻したいと私は考えます。島義勇も新天地へ向けて出航したこの三重津を、再び船出の地として、佐賀のすばらしさを世界に向けて発信していきます。

 最後に、創立60周年という節目を契機に、ブラジル佐賀県文化協会が西山会長様を中心に一丸となって一層発展されますとともに、会員、そしてご家族の皆様のご活躍とご健勝、併せてブラジル国の繁栄を心から祈念して私の祝辞といたします。