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平成27年10月
 
第40回全国教育大会佐賀大会への祝辞

 本日、ここに日本教育会第40回全国教育大会佐賀大会が開催されますことをお喜び申し上げますとともに、全国各地から佐賀県へお越しいただいた皆さまを心から歓迎いたします。
 あわせて、日本教育会が今年で40周年という節目を迎えられましたことに対し、改めてお祝い申し上げます。
 日本教育会の皆さまにおかれましては、40年という長きにわたり、教育の充実と発展に取り組み、次代を担う子どもたちの健やかな成長を支えてこられました。このことは、ひとえに歴代役員の方々をはじめ、会員の皆さまのご努力のたまものであり、深く敬意と感謝の意を表します。

 今年7月、佐賀市の「三重津海軍所跡」が、「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録されました。この「三重津海軍所」は、洋式船の操縦訓練や船の修理などが行われた幕末佐賀藩の海軍の拠点であり、日本初の実用的な蒸気船「凌風丸」を完成させるなど、当時の日本において最先端の技術を誇る施設でもありました。そして、この施設の責任者を務めたのが、日本赤十字社の前身である博愛社を設立した佐野常民でした。

 佐野が医者を目指して勉学に励んでいた江戸末期、西洋の圧倒的な技術力を目の当たりにした佐賀藩では、西洋諸国に対抗する力をつけるため、10代藩主鍋島直正のもと、産業育成や教育改革などの藩政改革が行われました。このような中、優秀な成績を修めていた佐野は、藩校弘道館で学んだ後も、江戸や京都、大坂の私塾に入門して蘭学を学び、学識を広げていきました。佐賀に戻ると、化学、機械、砲術などの研究を行う「精煉方」の頭人(とうにん)や「三重津海軍所」の監督を任され、さらにはヨーロッパに渡って西洋の思想や産業などの見聞を広め、日本の近代化に大きく貢献することとなったのです。
 このように、幕末から明治時代にかけて、急激な勢いで近代国家の建設に取り組んだ人々を突き動かしたのは、日本という国の将来を憂い、現状を打破しなければならないという大きな志と使命感だったのではないでしょうか。そして、その思いを果たすために欠かせなかったものが、“教育”であったことは間違いありません。

 『此複雜なる社會の大洋に於て航海の羅針盤は何であるか學問だ』
 これは、佐野と同じく弘道館で学んだ一人、早稲田大学の創設者である大隈重信が、東京専門学校創立15周年祝典における演説の中で、学生たちに向けて発した激励の言葉です。
 大隈自身、新しい国づくりに尽力してきた中で、漢学をはじめ、蘭学や英学などの知識に助けられたことも多かったのではないでしょうか。壁にぶつかって上手くいかなくても、その失敗から何かを得て次に進む時にこそ、“学問”が今を切り拓くヒント―羅針盤として必要とされるのです。
 これから社会に出て様々な困難に直面するであろう子どもたちに、“学問”すなわち“学ぶこと”がいかに大切なものであるかを伝えています。

 人口減少や少子高齢化が進んでいる今、地域が持つ力に期待が寄せられており、その原動力となる人材の育成に“教育”が大きな役割を担っていることは言うまでもありません。日本の未来を創造する子どもたちには、故郷やそこに息づく歴史・文化を学ぶとともに、常に何かを学ぶ姿勢を大切にすることによって、地域、そして世界で活躍してもらいたいと願っています。
 本日ご臨席の皆さまには、本大会を通じて、教育を取り巻く様々な問題について意見を交わし、ここで得られた成果を現場で活かすことによって、これからの教育振興につなげていただくことを期待しています。

 最後に、本大会の開催にご尽力された関係者の皆さまに深く敬意を表しますとともに、本大会のご盛会とご参加の皆さまのご健勝を祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。