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平成27年10月
 
伊万里高等学校創立100周年記念誌への祝辞
『地域に支えられ、そして地域を支えてきた百年』

 佐賀県立伊万里高等学校創立百周年記念式典を挙行されるにあたり、心からお祝いを申し上げます。
 伊万里高等学校は、大正五年に伊万里実科女学校として開校しましたが、その後の百年は平坦な道のりではなかったようです。昭和三年に伊万里高等女学校と改称し、昭和二十三年の学制改革により佐賀県立伊万里第二高等学校と改称されるまでの間、戦時下においては学習が水曜日一日だけとなったり、終戦直後は四年制が五年制に切り替わったりと、幾多の時代のうねりに翻弄されてきました。しかし、そのような激動の時を乗り越えて、伊万里高等学校として今に至ることができたのは、その時々の生徒の皆さんの学びたいという強い気持ち、そして、西松浦郡内の全町村による学校経費の負担や、婦人会の一銭貯金の寄付による校舎の建設といった地域の皆さまのご尽力があったからこそでしょう。
 もともと伊万里は、昔から教育について熱心な土地柄であったと聞き及んでいます。現在の伊万里市立大川小学校の前身である「本立堂(ほんりゅうどう)」は、「明治維新後の村づくりは人材を育てる教育が最も大切である」として、地元有志が話し合って創設されています。その有志の思いは、著名な儒学者であり教育者であった多久の草場船山の心を動かし、彼は指導者として伊万里に着任することになりました。そして、船山の門下からは、衆議院議長まで務めた川原茂輔も輩出しています。このような、地域が主体となって学びの場をつくりだす動きは、今も、伊万里市立図書館の「図書館フレンズいまり」の活動などにも結び付いているように思います。
 伊万里高等学校でも、学校独自の取組として「ふるさとリバイバルプラン」を実践されています。伊万里高等学校で学んだ生徒の皆さんが、将来、伊万里や佐賀に戻って活躍する、あるいは佐賀から離れた場所で地元に対して何らかの形で貢献するというこの取組が、地域の新たな誇りを生み出してくれることと期待しています。

 戦後七十年が経ち、画一的な豊かさを目指した時代は終わりを告げました。人それぞれ、地域それぞれの豊かさとは何かを、真剣に考える時期に来ています。そうした考えのもと、全国各地で地域創生の取組が行われる中で、私は、伊万里のカブトガニ保護活動について、知事になる前から気にかけており、総務省過疎対策室長として、いくつかアドバイスもさせていただいていました。
 そのような中で、昨年十月、一つの新聞記事が目に留まりました。そこには、昭和三十年代、漁の邪魔者として道端に投げ捨てられていたカブトガニの生態にいち早く注目したのが、伊万里高等学校生物部の皆さんだったということが記されていたのです。
 伊万里は豊かな海と山に囲まれていて、カブトガニの存在も当たり前のものとして受け止められていたのかもしれません。カブトガニを育む自然の素晴らしさにいち早く気づくことができたのは、生徒の皆さんが、支えられてきた地域に人一倍愛着を持っておられたからではないでしょうか。

 この度、活動の成果が認められ、カブトガニ繁殖地として天然記念物として指定される運びとなりました。そこには、伊万里高等学校生物部の長年にわたる研究や学校ぐるみでの産卵地の清掃ボランティア活動が寄与していることは間違いありません。
 カブトガニは、地域に支えられてきた学校が、地域を支えていくという「域学連携」の象徴ともいえる存在です。
 伊万里高等学校の生徒の皆さんには、カブトガニが住むことができる美しく豊かな伊万里湾をいつまでも残していくために、これからも活動の中心になって見守ってほしいと思います。きっと、そのことが伊万里という地の豊かさを生み出していくことでしょう。
 伊万里高等学校校歌の三番は、「かの山にかの玄海に 答うべき希望豊かに」と綴られています。

 最後になりましたが、伊万里高等学校が栄えある百周年を迎えられましたことに、改めてお喜び申し上げますとともに、伊万里高等学校のますますのご発展と関係の皆さまのご健勝を祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。