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平成28年11月
 
第51回「はがくれの塔」慰霊祭慰霊のことば

 ここ摩文仁(まぶに)の丘において、御遺族をはじめ関係者の皆様の御参列のもと、沖縄並びに南方地域の戦場で、かけがえのない命を失われた佐賀県出身の戦没者、二万八千余柱の御霊(みたま)を祭る「はがくれの塔」慰霊祭が執り行われるにあたり、謹んで慰霊のことばを申し上げます。

 先の大戦が終結してから七十一年、そして、昭和四十一年にこの「はがくれの塔」が建立されてから五十年が経過しました。この間、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという決意と人々のたゆまぬ努力によって、我が国は他に類を見ない早さで復興・発展を遂げ、今日(こんにち)の平穏で豊かな社会を築き上げてきました。

 そうした時代の移り変わりの中にあって、沖縄県遺族連合会の皆様は、半世紀以上にわたり遺骨収集を続けてこられました。戦後七十年を過ぎた今年、御遺族の高齢化や情報の減少などにより、初めてその活動を断念され、時間の流れの前に、御遺族をはじめ、活動に参加してきた方々はやりきれない気持ちを抱えられているのではないでしょうか。
 しかし、こうした地道な活動の積み重ねは、これからの未来を担う若者たちの心に、平和への思いをしっかりと芽吹かせているように思います。

 沖縄県に住む小学生、安里有生(あさとゆうき)君が作成した詩、「へいわってすてきだね」の中に、このような一節があります。

 ばくだんがおちてくるこわいおと。
 おなかがすいて、くるしむこども。
 かぞくがしんでしまってなくひとたち。
 ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
 このへいわが、ずっとつづいてほしい。
 みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。

 これからも、ずっとへいわがつづくように
 ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

 激動の昭和が終わりを告げ、平成の世となって二十八年目を迎えた今日(こんにち)、私を含め、戦争を知らない世代が多くを占めるようになりました。
 そんな時代だからこそ、この美しい沖縄や南方の海に鉄の雨が降り注ぎ、多くの命が失われたこと、今日の平和がその尊い犠牲と御遺族の深い悲しみの上に築き上げられてきたことについて、これまで以上に語り、想いを寄せていかなければなりません。
 これからも、子どもたちの笑顔がずっと続いていくよう、そして、ずっと平和な世が続くよう、私も私のできること一つ一つに全力を尽くしてまいります。

 最後になりましたが、平和を願い、故郷に残した家族を思いながら亡くなられた方々の命の重さを胸に刻みつつ平和への誓いを新たにし、謹んで御霊(みたま)の安らかなご冥福を重ねてお祈りいたしまして、慰霊のことばとさせていただきます。