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平成29年2月
 
「佐賀医人伝」寄稿文
『先人の志を継ぐ』

 「好生の徳は民心にあまねし」
 中国の「書経」の一節であるこの言葉は、佐賀県医療センター好生館の名前の由来となっています。
 全ての人の命を大切にするというその理念は、この「佐賀医人伝」に名を連ねる偉大な先人たちに共通した「志」のように私は感じます。

 好生館の名付け親は、幕末の名藩主鍋島直正公。当時の好生館では直正公の指示のもと、西洋医学の研究と医療が進められ、それは日本初の“大学病院”ともいうべきものでした。そこから、日本の近代医学制度の創設者相良知安など綺羅星のごとく人材を輩出し、日本で初めて“医師免許”制度を採り入れ、最新の医療であった種痘を全国に普及させています。当時の佐賀はまさに日本医療の最先端を走っていたのです。
 そして、その研究分野が医学にとどまらず、物理学や化学、数学へと広がっていった結果が、その後の鉄製大砲や蒸気船の製造につながっていることを考えると、明治日本の産業革命は佐賀の医人たちの熱い「志」が導いたもの、と言えるのかもしれません。

 来年、平成30年は明治維新から150年の記念すべき年です。
 当時の佐賀は、その高い技術力で日本中から注目される存在であり、他に先んじて世界に目を向けていた地域でした。明治という新しい時代に、日本の近代化を進め、今の日本の大きな形を作ったのは佐賀の人々だったのです。
 私は、明治維新の原動力となった卓越した佐賀の「技」と、それを支えた「人」を顕彰するとともに、偉業を成し遂げた先人たちの「志」を、若い皆さんをはじめ、多くの県民の方々に広め、次世代に継承していきたいと考えています。
 そうした機運が高まっている今、幕末・明治期を中心に佐賀の医人の略伝を網羅した本書が出版されることを大変嬉しく思っています。
 本書を手に取られた皆さまが、一人ひとりの命を大切にした佐賀の医人たちの思いと行動に触れてその志を継ぎ、50年後、100年後の未来に向けて、ここから新たな一歩を踏み出していかれることを心から期待しています。