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平成29年10月
 
佐賀県戦没者秋季慰霊大祭あいさつ

 一言ごあいさつ申し上げます。
 ただいま、戦没者に対する秋季慰霊大祭が厳かに執り行われたところでございますが、県内各地から多数御参列いただきました御遺族の皆様とともに、戦没者の方々をしのびながら、御霊(みたま)の御冥福をお祈り申し上げます。

 先の大戦では、祖国の発展と安寧を願い戦地に赴いた多くの方々の尊い命が失われました。
 愛する御家族を亡くされた御遺族の皆様が、癒えぬ悲しみを胸に、戦後の長く困難な道のりを歩んでこられましたことに、御慰労を申し上げますとともに、深く敬意を表します。

 「戦争が終わった日、パパ、13才。憎むことを知り、今、パパ、41才。憎み続けている。戦争を。君よ、君に戦争はあるか。君よ、今を大切にせよ。」
 これは、映画「戦場のメリークリスマス」の監督として知られる大島渚さんの詩の一節で、長男・武さんが小学生の時に「親の体験を聞く」という宿題のために書かれたものです。
 文集として保管されていた当時の先生から大島さんの御家族へ送られ、妻で俳優の小山明子さんが「戦争とは何かを若い世代に考えてほしい」と、今年9月に公開されました。
 この詩には、「上級生のビンタ、水びたしの本、妹と別れてくらすことも、みんなパパの戦争だった。」とも綴られています。大島さんは、多感な少年時代の理不尽な戦争体験から、その不条理を嘆き、生涯、平和を求める強い思いを持ち続けられました。
 戦後、皆様が血の滲むような努力を重ねられ、今日の繁栄を築いてこられたように、きっと大島さんも映画製作を通して戦争体験を克服してこられたのだろうと思います。

 この詩のほか、大島さんは武さんのために、ご自身の戦争体験を作文に残されていました。
 わんぱくだった同級生が、戦争でお父さんを亡くした日、涙を見せず、歯を食いしばっていたこと。それから、元気をなくしていったこと。
 大好きだった先生も戦争へ行くことになり、皆でタケノコごはんを食べたとき、「先生、戦争なんか行くなよ。」と初めて涙をみせたこと。
 武さんは、一昨年、この作文を『タケノコごはん』という絵本にされました。
 「父がどのような思いでこの話を書いたのか。あの頃の私にもう少しの想像力があったなら。でも、その父はもういないのです。」
 この絵本には、父親と戦争についてもっと話しておけばよかったという武さんの気持ちと、父親の思いを若い世代へと伝えたいという願いが込められています。

 「被爆者が一人もいなくなった時、どんな世界になるのかが一番心配だ。」
 長崎で被爆し、背中を焼かれたご自身の写真『赤い背中の少年』をもって、戦争の悲惨さを国内外に訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さんも、戦争の記憶が風化していくことを強く懸念されていた一人でした。
 戦争を体験された方々の「繰り返してはならない」という強い思いとたゆまぬ努力によって、今日の平和な暮らしが築きあげられてきました。
 戦争体験者の声を聴く機会が少なくなっていくこれから、私たち一人ひとりが大切にしなければならないことは、戦争を体験された方々の「思い」に向き合い、そこから「想像すること」ではないでしょうか。

 日常の幸せ、大切な人、人のこころを奪っていった戦争。その悲劇を二度と繰り返してはなりません。
 私も、佐賀県知事として、これまでの歴史をしっかりと胸に刻み、平穏で豊かな社会をつくるために全力で取り組んでまいります。
 最後に、ここに謹んで御霊の安らかな御冥福を重ねてお祈り申し上げ、御参列の皆様の御健勝とご多幸を心から祈念いたしまして、ごあいさつとさせていただきます。