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平成30年11月
 
島義勇銅像建立記念誌あいさつ
『咲き誇る桜を思いながら』

 明治維新から150年を迎えた本年、皆様の熱い想いが集まり、島義勇の銅像が佐賀城公園に建立される運びとなりましたことを心から嬉しく思います。

 私が島義勇の偉業に触れたひとつのきっかけは、知事就任から間もない平成27年4月、札幌市・北海道神宮での顕彰祭でした。
 北の大地で桜が芽吹き始める季節、佐賀の偉人・島義勇が「北海道開拓の父」として大切に祀られるその光景に、私は、島が築いた佐賀と北海道との絆の深さを感じるとともに、佐賀を誇りに思う気持ちを強くしました。
 ――どこまでも高い志と熱い情熱を持ち、どこまでも大きなスケールで行動し、彼の地において「判官さま」と人々に慕われ続けてきた人物を、佐賀が育んだのだ、と。

 江戸末期、鎖国から開国へと動き出した時代、北の玄関口であった函館と蝦夷地の重要性にいち早く気づいたのは、佐賀藩第10代藩主・鍋島直正でした。
 200年にわたる長崎・出島の警備を通じて列強の脅威から国を守り続けてきた佐賀藩の藩主として、諸外国の情報に精通していた直正だからこそ、まだ見ぬ北の大地を守り、開拓しなければならないという強い信念と使命感があったのでしょう。

 直正の志を受け継ぎ、その想いに応えた島義勇。
 安政3年(1856)から翌年にかけての蝦夷地での調査と、明治2年11月から翌年2月までの札幌本府建設に力を尽くした初代開拓判官としての歩みには、厳しい風雪に耐え過酷な任務を果たしながらも、現地の人々との立場をも超えた温かな交流があったと聞いています。
 直正が佐賀の地において何よりも人を大切にしてきたように、その背中に学んだ島が、人々と苦楽を共にし泣き笑いしながら新たな地を拓こうと力を尽くしたことを、私は一人の佐賀人として、何より誇りに思うのです。
 志半ばにして北の大地を後にした島を偲び、現地の人々によって植えられた桜は150本にのぼったと聞いています。その桜が植樹された北海道神宮は、今や桜の名所となっていることも、島の残した足跡といえるのかもしれません。
 そして来春、この佐賀の地において、桜が舞い、楠が若い青葉を茂らせる中、堂々と佇む島の姿を見られることを楽しみにしています。

 明治維新から150年、そして北海道命名150年を迎えた本年、佐賀と北海道の子どもたちの交流も始まりました。
 島義勇の志と偉業に触れるこの事業が、未来を担う子どもたちをはじめ多くの方々にとって、ふるさとを誇りに思い、未来を創りだす力となるととともに、佐賀と北海道の絆を繋ぐ架け橋となることを願ってやみません。

 最後になりましたが、これまで長きにわたり、佐賀の誇る偉人・島義勇を大切に慰霊顕彰いただいている開拓判官島義勇顕彰会をはじめとする北海道の皆様、寄附金に御協力いただきました県内外の皆様、制作に御尽力いただきました佐賀大学芸術地域デザイン学部德安和博教授、銅像建立のために様々な立場で御協力いただきました全ての関係者の皆様に深く感謝申し上げます。