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SAGA2023国スポ・全障スポの開催年の延期要請に対する本県としての考え方

○FM佐賀
 知事は今ターゲットエイジの方たちの活躍の場をつくることを特に強調されていたかと思うんですけれども、具体的に中学2年、3年ですかね、その人たちが活躍できる組織というのはどういったものを考えられているのか、教えていただけますか。
○知事
 今回の決断に至って、やっぱり一番心をすごく痛めたというのは、今の中学3年生がちょうど高校3年生になったときに佐賀国スポを迎えるというタイミングであったわけですけれども、そこが佐賀でなくて鹿児島になるという思い。中3生は、今コロナで中体連の県大会もできなかった。基本的に地区ごとにはやりましたけどというつらい思いをした学年なので、子供たちのことを一番に考えなければいけないというふうに思ったので、この子たちが鹿児島大会を自分たちの地元の大会と同じぐらいに佐賀県としてバックアップして、全力で鹿児島の皆さん方にも応援していただく体制を取って、ホームの大会として位置づけるぐらいに我々が力いっぱい応援する体制を組まなければいけないと思いました。ですので、もちろん、強化支援のこれまでやってきたようなものをこれまで以上にするというのはもちろんのこと、競技団体とこれから相談して、今の中3生に対して鹿児島大会にバックアップするような組織というものをつくっていって、ただ、これは我々として勝手に僕らの思いだけでやるものではなくて、みんなと一緒になってつくり上げた形の組織をつくっていきたいなというふうに思っています。
○FM佐賀
 あと20市町の首長とか競技団体の方々といろいろ意見交換を何か複数回繰り返されたというようなことをおっしゃられたかと思うんですけれども、競技団体などからはどういった意見が多かったんでしょうか。
○知事
 今言った中3生のみんな、この子たちと佐賀大会を目指して頑張ろうなと、これまで何年もの間、みんなで気持ちを合わせてやってきた。特に、指導者の皆さん方はそうやって言い聞かせて一日一日を過ごされてきたわけであって、そこに対する子供たちに対するフォローというところが大きくて、これから後、結局、中3生は高3まで少年なので、佐賀大会のときには少年の資格でないわけで。だから、本当にそこに対する思いというのが非常に強かったことと、やはり競技種目がずれてきてしまったりとか、そういったことというのはとてもじゃないけど、耐えられないという話もありまして、それから、佐賀大会から新種目になる予定だったものとかもありますので、一つ一つ丁寧にそれはお伺いして、鹿児島大会でできること、そして佐賀大会でできることをきっちりと調整をしなければいけないというふうに思います。
○FM佐賀
 1年延期することで、国体の最後となる鹿児島大会と国スポの最初となる佐賀大会と、双子の大会として盛り上げていきたいというふうなお話もありましたけれども、これからまた塩田知事ともいろいろお話をしながらだとは思うんですが、山口知事の中ではどういった形で2つの大会を盛り上げていきたいというふうな構想を描いていらっしゃるんでしょうか。
○知事
 本当に今回きつかったのは、誰のせいでもない、この新型コロナウイルスの感染拡大があって、それこそずっと10年以上準備してきた鹿児島の皆さん方の思いというのがあって、それをどう受けとめるべきなんだろうか。これは国もそうだし、日スポ協会もそうだし、非常に悩んでおりました。その中で、大人たちが痛みを分かち合いながら解決するということが非常に悩ましく、みんなでこの苦しみを分かち合うやり方ってどういうやり方があるのかなという中で、非常にいろんな解決策を模索するということだったんだろうと思いますので、塩田知事が来たときに、私簡単な話じゃないって申し上げていたように、佐賀は2023年にやりたかったので、そのために全ての準備を行ってきたので、本当にそういう佐賀のみんなの思いは鹿児島の県民に届いてほしいなと思います。やっぱりもし23年に佐賀の選手団が鹿児島に、僕らが力いっぱい応援する23年の選手団が鹿児島に行ったときには、県民総出で迎えてもらってエールを送ってもらえるような、そんなふうな大会に鹿児島大会をしてもらいたいと思うし、そうしていただいたら、もちろんもともと幕末のときも島津斉彬公と鍋島直正公がいとこ同士で、本当にお互いで意見交換しながら前へ向いていったみたいな時代が、そして、新しい国スポは佐賀からということで、また鹿児島の皆さんにもエールを送っていただくと。そうやって未来思考でみんなで頑張っていこうって、そこに大きな価値を見い出したいと思うので、そういう体制がとれるように、これから佐賀県の様々な競技団体の皆さんとも連携してやっていきたいという気持ちです。
○FM佐賀
 あと、SSP杯なんですけれども、こういう状況でスポーツができない中、山口知事主導のもと、県内でいろんな大会が開かれて、子どもたちもかなり喜んでいるし、かなり成功したんじゃないかなというふうに思っているんですけれども、このSSP杯というのを24年の国スポに向けて継続していったりするようなことというのはご検討されているんでしょうか。
○知事
 今回、とてもこのSSPを考えている姿、これはほとんどSSPというのは単年度の問題ではなくて、佐賀スポーツピラミッドという、もともとスポーツの力を永久に地域の力に盛り上げていこうというプログラムなわけなんですね。ですので、いわゆる国体とか今度行われる国スポが、その中間を盛り上げればいいということではなくて、もっと我々の力にしていきたいというプログラムなので、これはずっと未来永劫続けていきたいなと思っています。
 そういったことも含めて、佐賀県のスポーツ選手たちにはSSPの精神でずっと、その一年一年じゃなくて、君たちの将来も含めて佐賀県はずっと支援していくような形を構築していくんだよというメッセージが伝わればいいなと思っています。
○佐賀新聞
 先ほど各競技団体、関係者からの意見を聞く作業を続けてきたということでしたが、おおむね皆さんの理解は得られた、1年延期について理解は得られたという受け止めでしょうか。
○知事
 彼らの思いを考えると、じゃ、理解したのかと言われて、理解したって言っていただけない気がしますね。というのは、やっぱりすごい、そのくらい強い思いで選手は向かい合ってきたので。ただ、私も直接、いろんな団体の皆さんとお会いして、私からこういう考えでという話をしたときには、前向いて、だったら、こういうふうにしてほしいとか、ああいうふうにしてほしいというふうな建設的な意見が出てきたので、ああ、一緒に前を向いて取り組んでいただけるんだろうというふうには私は思いました。
○佐賀新聞
 あと、今、佐賀県は50人ぐらいの体制で人員を強化して、2023年に向けてやってきたわけですけれども、これが1年延びると、その分、その体制を1年間維持しなきゃいけないというわけで、人件費もかさむと思います。今後、延期に関して国に財政的な支援などを求める考えはありますでしょうか。
○知事
 これはぜひそうしたいなと思います。というのも、誰のせいでもない、新型コロナウイルス感染症の影響なんですけれども、そこは国のほうでバックアップすることによって、実はこれは佐賀県だけの問題ではなくて、今後、佐賀県の次、滋賀県さんがどうお考えになるのか、青森県さん、そしてまた宮崎県さんというふうにずっと続いて、内定とか決定はしていないものの、ずっとつながっているので、そういう皆さん方の思いをしっかりと受け止めるのはやっぱり国であってほしいなというふうに思うので、我々とすると、もともと佐賀県はSSPということで、将来的にもずっとこのスポーツ振興はやっていこうということを打ち出してはいるんだけれども、でも、栗林さんがおっしゃるように、1年の影響というのはただならぬものもあるので、そういったところについてはぜひバックアップをしていただけるようにということで。伊藤会長とか藤江次長からはバックアップするという約束はいただいているんだけれども、それは具体的な形でこれから調整をさせていただきたいと思います。
○読売新聞
 先ほどご説明の中で、6月上旬から競技団体にも意見を聞き始めたというお話もありました。知事の中では、もちろん鹿児島県知事の要請もあったんですけれども、いつ頃から1年延期というのを念頭に置いて考え始めたんでしょうか。
○知事
 鹿児島大会が中止になるといったときに、ほかのいろんな大会が1年ずれずれになっているというところは私もいろんな情報で聞いていたので、これはどうなるのかなと思っておりました。ただ、特に国体の問題というのが難しいのは、選手強化を各県はその1年に向かって強くやっているところがあるので、我々もですけど、そうした中で、鹿児島県の関係者の皆さん方が非常に今つらい状況だと。そのための準備が全て、何というんでしょうか、霧散してしまう、消えてしまうというふうな状況だったのでという中で、これはどう解決するのかなという思いはその頃からあって、三重のほうから4県共同で、ずれないよと、そのままやらしてという要望をやらないかという話があって、でも、そうやって各県が全部、うちは駄目だ、うちは駄目だとやっていったら、鹿児島の思いを受け止めるところというのがなくなるし、もともとスポーツというのは、本当にみんなに感動を呼ぶものであって、みんなで喜びと苦しみを分かち合うところがすばらしいところだと思うので、この新型コロナという共通の敵に対して、全く知恵が出せない状況というのはどうなのかなと思っていたということと、かねてからスポーツ協会の伊藤会長とは何度もお話をさせていただいて、新しいスポーツ像ということに対しては非常に共感をしていたので、伊藤会長は何とか鹿児島のメンバーたちのために解決したいという並々ならぬ意向が私のほうにも伝わってきたので、ここは本当に、私は佐賀県のリーダーとして、みんな2023年に向けて導いてきた立場として、すごくそこは悩ましい決断ではあったんだけれども、何とか前を向いてやっていくような体制を、今回、SSP杯でも僕ら一生懸命やってきて、そこについてはアスリートの皆さんからも評価をいただいているので、その信頼を裏切らないようにこれからやるということをもって、みんなで前を向いていける体制を、むしろ佐賀県だからこそできるんじゃないかなと。選手からは、何でうちだよと聞こえてくるんだけれども、いろんなところから何となく、だけど、そこはみんなで励まし合いながら肩組んで前向いて頑張ろうぜって、今からさらに選手たちに声をかけていきたいと思います。
○西日本新聞
 新型コロナウイルスの収束が見通せない中、来年以降も同じように中止とか再延期の可能性があると思うんですけれども、このリスクについてはどのように向き合っていくおつもりでしょうか。
○知事
 私は、これ以上譲る気はないので、佐賀県はもうこれが最後。だから、本来は今年に僕らが決定になるはずだったんだけれども、鹿児島さんとダブルで決定いただくようにしていただかないと困るし、そういう強い気持ちで、今回は佐賀のみんなに分かっていただけると思っています。
○読売新聞
 先ほどのお答えの中で、三重のほうから4県は譲らないという提案があって、そのときにも知事のほうで違う返しをしたということだと思うんですけど、4県で要望された段階ではある程度今の姿を描いていたということですか。
○知事
 そこまではなかったんですけれども、基本的に、三重の気持ちも分かるんですよ。それはだって来年だから。ただ、そうやってみんな準備してきた中で、だから、僕らもそういう点では2023年、それこそ全ての施設整備も含めて、市町と一緒にやってきたので、そこをターゲットに。思いはあるんだけれども、今苦しい、いろんな困難の中で、それこそ東京オリンピックも延期になっているし、その中でアスリートたちが全力で前を向いている中で、そこに、この中に鹿児島だけが外れるというのは、スポーツマンシップというか、そういった意味でもどうかなという部分はずっと思っていたということです。
 我々として佐賀県として、2023年と2024年、両方ともしっかりとやっていくというところからみんなで気持ちが一つになることができたら、虫がいいかもしらんけど、いい姿ができるんじゃないかなという気持ちがだんだん大きくなっていったということ。
○佐賀新聞
 サンライズパークのアリーナの整備が2023年3月完成を目指しておられると思うんですけれども、ある意味、1年延期で少しスケジュールに余裕ができたのかなという見方もあります。今後の自然災害ですとか、コロナのような感染症のリスクもあると思うんですが、この1年の余裕に関して受け止め、どうでしょうか。
○知事
 そうですね、ここは競技団体からプラスの意見としては、その分新しいサンライズパークで練習がされるとか、本番アドバンテージができるとか、そういった意見もありました。そういったことも含めて、もう一度、その計画自体はもちろん今のとおりやっていくんですけれども、その上でどういうスケジュールで、例えば、プレ大会をどうするのかとか、そういったことも含めて考えなければいけないと思うし、それから、2024年にずれるとパリオリ・パラと同一年度になるので、そことの選手の調整や、あとはインターハイの北部九州大会がたしかその年だったと思うので、そういったところの調整とか、いろんな形で再編成をしなければいけないことが出てくるので、ここはスポーツ団体、競技団体の皆さんと共につくり上げていくということだと思います。

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