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鉄道遺構「高輪築堤」について その2

○NHK
 1点、幹事社の小野さんから質問があった件の追加で、高輪遺構の件なんですが、これについては既に港区やJR東日本のほうに佐賀県の意向を正式に伝えているような状況かというところと、あと、知事のイメージとして、あそこの遺構のどういったところを佐賀に持ってきて、どういうふうな形で展示とか保存をするというふうな考えをお持ちでしょうか。
○知事
 まず、先だって港区長ともお会いしましたし、我々の意向は伝えております。JRにももちろん伝えています。それをどう活用するかなんですけれども、もちろんまだ決まってはいないんですが、今みんなで議論するイメージとすると、美術館、博物館のエリアだったりとか、大隈重信記念館だったり、早稲田佐賀の校内だったり、そのうちの幾つか、もしくは全部か、よく分かりませんけれども、それこそどういった部分をどのように抽出して持ってくるのかということにも関係しますので、そういったイメージを持ちながらも、これからさらに検討を進めて、岡田三郎助のアトリエを移築したのご存じですよね。
 あれ、恵比寿から持ってきたんです、引っ張ってね。あれが本当に、向こうにアトリエがあったのを持ってきたのが非常にすばらしくて、今みんなに愛されておりますので、あの成功体験を生かしながら、みんなに分かっていただけるような大隈重信の創造力というか、あの時代にああいったものを造れたということがみんなの気持ちと一体化できるような形での移設を考えていきたいと思います。
○NHK
 もう一点、改めて佐賀に移築してというその意義と、あと、知事がそういうことをしたいとお考えの気持ちはどういったところからでしょうか。
○知事
 まず、昨日、それこそ佐賀東高校の演劇を見て、大隈重信ってみんな知らなかったけど、こんなすごいことを、いろんなことをやってきた人たちだったんだねって思ったりとかいう話を聞いて、私は知事になって仕掛けたのが明治維新150年の維新博なんです。それはなぜかというと、佐賀の子供たちがなかなか明治維新のときの佐賀のすごくいろんな思いだったり、成し遂げたことだとか、葛藤だとかというのを知らなくて、ちょうど佐賀県が1回お取り潰しになっているんですね、7年ぐらい。その間に、誇りも断絶していたんじゃないかななんて思ったりもしたので、すごくそう思っている中で、さらに今年は大隈重信の没後100回忌なんですよ。100回忌のときに、まさか自分たちが、みんなが乗っていた山手線と京浜東北線の下からそのままの形で出てくるなんてとんでもないことだなって思ったので、そういう感動を県民の皆さん方ともっともっと共有したいなという思いです。

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