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肥前さが幕末維新博覧会プレ特別展「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展を開催します

 本日は、冒頭に7月5日からの梅雨前線豪雨による被害について報告させていただきたいと思います。
 まずもって、今回の福岡県、大分県を中心とした九州北部地方におけます梅雨前線豪雨の被害によりまして、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げたいと思います。
 現在、人的被害、死者数も29名になっておりまして、いまだ避難されている方も約1,300人おられるということで、非常に衝撃的な災害でありました。特に、線状降水帯の発生ということで、なかなか今まで想定できなかったような、非常に低い山に積乱雲ができて、そこで多くの雨を発生させるというような、温暖化の原因なのか、ここはしっかりと原因調査も含めてやっていく必要があるのではないかなと思っております。
 そして、本日は現時点での県内被害状況等についてもご説明を申し上げたいと思います。
 佐賀県内の被害状況につきましては、住民避難は39世帯60人という状況でした。そして、こういった形で本県としては比較的軽微なものにとどまったという認識です。
 そこは、我々も今回の災害を含めて、いつ法面の崩壊だとか、深層崩壊だとか、いわゆる水域、水がたまったことによって突然起きるものというのを常に警戒していたわけでありますけれども、こういった形で被害を受けた状況になりまして、特に農作物関係につきましては、アスパラ関係等について、震災によって一定の被害が出ているところです。
 そして、今回の一つの特徴でもあるんですけれども、大量の流木ですね。約4,000立米、これまた少しずつ、また重なっておりまして、きょうも3,000立米と報告しようと思っていら、もう4,000立米になっております。ある程度増え続けているので、早目に除去をしなければいけないという、特に漁業活動への影響、そして海岸施設保全の観点から、速やかな撤去が必要だというふうに思っておりますので、県としても、あすから撤去作業を開始したいと思います。
 これまでも漁業者、市町が少しずつやっていただいているんですけれども、しっかり県が乗り出して、全面的にやっていきたいと思っています。
 そして、被災地に対する支援ですけれども、やはり人命が非常に重要だということで、緊急消防援助隊を、日田のほうに派遣いたしまして、途中から朝倉のほうにという話がありました。そういうことで、現在も朝倉で活動中ですので、今後も要請に応じまして迅速に対応していきたいと考えております。

 続きまして、私からの報告事項でありますけれども、「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展を開催したいと思います。
 佐賀藩は、1867年の第2回パリ万国博覧会に参加しました。この第2回パリ万博が、日本国が初めて万博に出た年で、そのときの出展者が幕府と薩摩藩と佐賀藩だったと。この3つが出展者でありました。
 1867年ですから、本当に、倒幕間近でした。薩摩は幕府への牽制も含めて出展していたみたいですが、佐賀藩は有田焼等を引っさげて、純粋に佐賀の有田焼のすばらしさを売り込もうということがメインで、ここに(写真が)ありますけれども、深川長右衛門さんだとか、真ん中にいるのは佐野常民が団長で、それからパリで亡くなった野中元右衛門さんの姿も見られます。
 この目的を改めて考えてみますと、佐賀藩とすると、「佐賀は世界を見ていた」というコピーにもありますように、西洋文明の吸収をしっかりやらなければいけないという閑叟公の卓越した見識がありました。
 そして、佐賀藩自身の持っているもの、陶磁器、白蝋、和紙、お茶とか、こういったところに対するプレゼンテーションをしたかったということ。
 そして、実はこの蒸気軍艦、団長の佐野常民に直正公がしっかり特命として、購入の交渉をしてこいと。この購入をしたことから、いずれ佐賀藩が最初に蒸気船をみずからつくり上げるということにつながるわけですが、そういった直正公の国際感覚の高さがうかがえると思います。海外を実見したいという、そういう志ですね。このときは、もう直正公に藩主は譲られていましたけれども、リードしたのは直正公であったという話です。
 その野中元右衛門さんは、現地で亡くなったわけですけれども、現在もペール・ラ・シェーズ墓地に眠っておりまして、私も昨年、お参りさせていただきました。現在、野中元右衛門さんの偉業について、大分開かれた場で話ができるようになって非常によかったなと思っています。
 今回、この「1867年パリ万博と佐賀藩の挑戦」展を開催したいと思います。
 9月15日から11月12日、観覧料は無料で、募金をお願いしております。
 今回の目玉資料は、パリの「セーブル国立陶磁美術館」に保管されていた佐賀藩出品の陶磁器ですので、ここにパリ万博への佐賀藩出品であることを示すラベルもあります。そのとき出品したものが初めて佐賀に戻ってくるということになります。初めての里帰りです。
 そのほか、薩摩藩が独自に作った勲章がまた初出品、これは薩摩に残されていまして、それに対抗して幕府が作った勲章も、こちらのほうは松戸市の歴史館のほうからお借りするということで、その当時、まさに薩摩と幕府が非常にお互いに意識していた、薩摩藩からすれば、これが日本を代表しているものではないぞということを言いに行ったのではないかなということがうかがわれるような構図が浮かび上がってくるわけでありまして、そのほか、グラバーに佐賀藩が贈った陶磁器ですとか、野中元右衛門、深川長右衛門さんの未公開史料についても多数展示されますので、ご期待いただきたいと思います。
 また、映像につきましても、今、パリ在住の佐賀県出身のドキュメンタリー監督、江口方康氏が監督した映像を放映したりとか、音楽会を、Project1867という、今、全国的なそういう横断的な組織があって、そういうところと連携しながら、こういったコンサートも実施していきたいと考えております。
 多数の皆様のご来館をお待ちしております。

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