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SAGA2023国スポ・全障スポの開催年の延期要請に対する本県としての考え方

 皆さんおはようございます。
 本日は、SAGA2023国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会の開催年の延期要請に対しまして、佐賀県としての考え方をご説明申し上げます。
 本年2020年、鹿児島県で開催予定でありました第75回国民体育大会及び第20回全国障害者スポーツ大会が、新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、本年秋の開催が中止となり、引き続き延期時期の検討がなされています。そうした中、先日、塩田鹿児島県知事、伊藤日本スポーツ協会会長及び藤江スポーツ庁次長が本県を訪問され、SAGA2023の開催が予定されている2023年に鹿児島大会を開催させていただきたいとの要請を受けました。
 私といたしましては、県民みんなで一丸となって2023年を目指してきたこと、特に選手たち、そして、その指導者の皆さんたちのことを思うと、極めて重い苦渋の選択ではありますが、この要請を受け入れたいと思います。
 これより、この苦渋の決断に至りました経緯、及び私の思いについてご説明申し上げます。
 鹿児島大会の今年秋の開催可否につきましては、新型コロナウイルス感染症が全国的に拡大していく中、本年3月には東京オリンピックの開催延期が決定し、4月頃からは鹿児島大会の中止や延期に関する報道等がなされるようになってまいりました。また、本県にも直接的な影響が大きい全国高校総体や夏の甲子園大会などの国内主要スポーツ大会の中止の波も拡大していきました。
 私といたしましては、こうした大会の中止は感染拡大防止の観点からやむを得ないという思いもある反面、人間の根源的な喜びを生み出すと言っても過言ではないスポーツが、できない、観られないといった状況が続くことはとてもつらく、どうにかできないものかと考えておりました。
 特に、各世代で最終学年を迎える子供たちにとって、最後の大会ができなくなる無念さに対しては、胸が張り裂けるような思いでありました。このため、佐賀県においては、佐賀の子供たちに次の一歩を踏み出すためのけじめの大会を何とか開いてあげたいとの一心で、「SSP杯」という名の下、全国で最初に代替大会の開催にチャレンジをいたしました。私自身も、できる限り時間をつくっては試合観戦に出かけ、子供たちの笑顔や真剣な姿、そして、試合後の涙に大きな感動をもらいました。
 今年秋の開催が予定されていた鹿児島国体・全障スポ大会に関しましては、来年開催予定の三重県からの呼びかけを受け、去る6月11日に、鹿児島大会後の開催が予定されている4県の共同要望という形で、スポーツ庁、日本スポーツ協会及び日本障がい者スポーツ協会に対し、来年度以降の開催県に影響のない対応策を最優先で検討することといった旨の要望活動を行いました。
 その際、私からは、鹿児島県は本当に大変だと思う。そういう無念な気持ちをおもんぱからないといけないということ、そして、我々はスポーツのすばらしさ、新しい大会をやりたいという気持ちで満ちあふれているということ、この2点を大事にしていただきたいという思いをお伝えいたしました。
 この問題は、非常に難しいかじ取りになりますが、それぞれの県がそれぞれの中で工夫をしながら、何とか全てのスポーツ選手が前を向いていけるような、そんな解決策をみんなの英知で見いだし、その過程があったからすばらしいスポーツ大会になったねと言えるようにしたいと、その後も私なりに考えを巡らせておりました。
 こうした折、7月31日、就任1週間もたたない塩田新鹿児島県知事が本県を訪問され、鹿児島県民の切実なる思いとともに、佐賀県民の皆様にとっても簡単な話ではないと思いますが、ぜひとも2023年に鹿児島大会を開催させていただきたい旨の要請がありました。私としては、その思いを真摯に受け止めさせていただきました。
 その後、先日の8月6日には、日本スポーツ協会の伊藤会長とスポーツ庁の藤江次長が本県を訪問され、伊藤会長の我が国のスポーツ振興にかける熱い思いとともに、競技団体の皆様が心配をされていた延期された場合の実施競技について、佐賀大会で予定していた競技種目は開催年が変わっても一切変更しない旨、そして、最初の国スポは佐賀からを約束するとのお話をいただき、私としては、我々がこの問題を検討するに当たっての最低条件がクリアされたと認識いたしました。
 この主催三者からの要請に対しましては、それぞれの思いを真摯に重く受け止めるとともに、今回の問題は、誰のせいでもない、新型コロナウイルスという我々にとって未知のウイルスの感染拡大に起因するものであり、みんなで知恵を出し合い、痛みも分かち合うべき事案であると、この問題と向き合うようになった頃より一貫して思っていたこと。
 また、選手をはじめとする県内関係者のためにも、こうした問題は早期に解決したほうがよいと思っていたことを私なりに勘案し、2024年に佐賀大会を開催することを早期に前向きに検討したい旨のコメントを出させていただきました。
 ただ、一方では、この問題の判断をするに当たっては、県内の関係者、チーム佐賀の皆様のご意見、特に2023年に照準を合わせて頑張っているターゲットエイジと呼ばれる子供たちの考えを大切にしなければならないと、かねてより思っておりました。
 こうした点、私としては、丁寧かつ慎重に対応しなければならないとの考えから、まずは6月上旬に担当課を通じ、仮に1年延期になった場合の競技力への影響等について、各競技団体のご意見をお聞きし、6月19日の鹿児島大会延期の正式決定を受けてからは、20市町の担当部署に対し、仮に1年延期になった場合の影響等をヒアリングするとともに、各競技団体に対しては、運営面への影響に関してもご意見等をお聞きしてまいりました。
 その後も、7月31日の鹿児島県知事の訪問を受け、県議会や各競技団体、20市町の意見等を再度お聞きするとともに、国スポ・全障スポの佐賀県準備委員会のメンバーや20市町の首長に対し、様々な方法で、県の考え方についての方向性をお伝えしてまいりました。
 また、8月6日の伊藤会長らの訪問を受けてからは、私自らも競技団体の皆様と面会をしたり、電話をするなどして、チーム佐賀の皆様と意見交換を行ってまいりました。
 競技団体の皆様からは、これまで2023年を大きな目標として頑張ってきたターゲットエイジたちの思いや、2024年に向けての競技力向上の再構築が必要となるなどの意見がありました。また一方では、1年延期したほうが競技力がより向上するなどの意見もありました。私としては、皆様の様々な思いをしっかりと受け止めさせていただきました。
 また、20市町の首長、議長に対しましては、これまでも準備委員会総会や市町議会議長懇話会などを通じ、申し上げてきておりましたが、昨日のGM21の際にも、改めて、意見交換をさせていただきました。
 私は選手や関係者をはじめ、チーム佐賀・オール佐賀の皆様と共に、この難しい局面を乗り越えていけるものと信じております。
 こうした経緯や思いを踏まえ、極めて重い、苦渋の判断ではありましたが、このたび、本県としては今回の要請を受け入れる決断をいたしました。
 今回の判断をもって、直ちに佐賀や鹿児島の開催年が決定するわけではなく、今後、滋賀県やその後の青森県など、本県の後に開催を予定している県とも、日本スポーツ協会やスポーツ庁のほうで調整が行われることとなります。調整の結果、2023年の鹿児島大会と2024年の佐賀大会が正式に決定された場合、私としては、佐賀の選手の思い、特にターゲットエイジの子供たちがホームグラウンドである佐賀で活躍するべく頑張ってきた思いを決して忘れてはならないと思っております。
 このため、鹿児島大会と佐賀大会を、いわば双子の大会のように「2023年も本番、2024年も本番」と位置づけ、しっかりと舞台を創り上げていくとともに、両大会を目指す選手たちにも同様に、そしてこれまで以上の強化支援を行ってまいります。
 佐賀県は、SSP構想を推進しており、SAGA2023をゴールとするのではなく、その後も人材育成などの好循環が佐賀に根づくような取組を進めています。このSSP構想の中で、現在の中学2、3年生が県内高校に進学し、少年の部で活用できるよう個人支援を行う新たな制度を創設することや、競技団体が育成に一層取り組むことができる支援制度の充実を図ってまいります。
 こうしたことにより、本県のアスリートには、「鹿児島でも金、佐賀でも金」を目指してもらいたいと考えており、まずは、ターゲットエイジの子供たちに、このことを直接私から伝える機会を設けたいと思います。
 また、県内の競技団体や市町のチーム佐賀の皆様に対しても、スポーツ庁や日本スポーツ協会とも連携を図りながら、できる限りの支援に努めてまいります。
 そして、選手を大切に育てている指導者の皆さんにもしっかりと連携をしてまいります。
 今後、未来を見据え、強い思いで、佐賀のアスリートが光り輝くステージを鹿児島、佐賀の両大会を通して創り出してまいります。幕末維新の激動期、肥前、薩摩の両藩は、連携しながら未来志向で時代を切り拓いてまいりました。同じ九州の盟友でもある鹿児島から佐賀へ、国体から国スポへ、バトンをつなぐことで、両県の若者たちがスポーツや文化など、様々な分野で交流を重ね、互いにエールを送り合いながら成長し、輝かしい未来を築き上げていくことを心から期待するものであります。
 私からは以上です。

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