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令和元年佐賀豪雨災害について

 皆さんおはようございます。
 まず、台風19号における災害で犠牲になられた皆さん方にお悔やみ申し上げますとともに、被災されたそれぞれの皆様方にお見舞い申し上げたいと思います。
 まず、佐賀豪雨災害について、改めてさせていただきたいと思います。
 これは災害本部ですが、記録的な大雨ということで、27日夕方以降、気象庁が記録的短時間大雨情報を発表いたしまして、28日の午前5時50分以降、県全域に大雨特別警報が発表されました。我々は27日から準備をしておったわけですけれども、今回、佐賀県で犠牲になった3名のうち、2名の方は早朝の5時ごろに車で外出されたということでございます。そして、今回は県内各地で時間100ミリを超える猛烈な雨が降ったということでして、短期間に平年8月の月間降雨量を上回る雨ということで、想定外、想定外とよく言いますけれども、今回の台風19号もそうですけれども、この異常気象の中において3年前は線状降水帯という言葉が出てきて、それからずっとこの3年間の間、全国各地でこういう災害が起きているということなので、本当に想定外のことが起こるということをあらかじめ意識した上でハード、ソフト両面の対策をしなければいけないと思っております。
 県内各地でもこういった形での被害が発生いたしまして、御案内のとおり浸水被害、そして、土砂崩れ、山が崩壊していく姿が見られました。佐賀県は28日の午前中にヘリコプターが飛べなくて、全容が把握できなかったんですけれども、午後の防災ヘリも、熊本のヘリが先だったんですが、そのときの映像でいろんなことが上空からわかってきたこともあって、こういったところに戦力を集中しようと決断したわけです。
 我々の対応ですけれども、27日の21時55分に全庁上げて警戒態勢をとるようにと、私が副知事に電話したところでその前の晩にスタートしたわけです。先ほど言った朝の5時に3名のうち2名出てしまったということなので、責任感もあったと思いますけれども、途中で、雨で田んぼだとか、河川との境がなくなったところで引き返していただくということを日ごろから話をさせていただくことも大事かなと思っております。
 28日の8時4分に私から自衛隊に災害派遣要請をいたしまして、8時30分に災害対策本部を設置して以降、20回開催することになるわけですけれども、当日は9時にメッセージを発表して、とにかく外出を控えて命を守ってほしいということをお伝えしました。このときの記者会見で油流出の第一報がでてきた直後だったので、そんな話も皆さん方にさせていただいたところです。
 それから、現地でのオペレーションということで、武雄には坂本副知事、大町には進総務部長をトップに現地対策本部で対応したということでして、本当に佐賀県はいつも思っているんですけれども、現場の判断、現場が一番現状をわかっているので、そこで判断させる。そこの現場の判断が大事なので、現場に判断できる人間を送るというのが僕は災害対応の要諦だと思っています。えてして、上の立場の人というのは、本部とか現場に遠いところにいるもんだから、そのかわり、そこから指示を出したりすると、現場との間でそごが生じるところが私は課題だと思っているので、判断できる人間をそこに置いて、そして、本部がその支援をするというような、私はそれが佐賀スタイルとでも言ってもいいかもしれませんけど、本来あるべき姿と思っています。
 災害対策基本法で、その一義的な責任は地方自治体にあると明確に書いてあって、私は地方自治体がその責を担う、現場のことをよくわかっているわけですから、そこに国が支援をしていくという姿だと思います。この28日においても、我々が朝からずっとさまざまな作業をしているわけですけれども、国のほうから先遣隊が来たのはこの日のたしか夕方だったと思います。私はそれを、それはそれでいいんだと。県が対応して、あとは現場で自衛隊、警察、消防が動いている。そこを県が醸成しているという対応ができていれば、国からの支援はそれからと、夕方であっても私はそれは当然、東京とかから来るわけだから、それが自然な姿だし、その前に自治体がしっかりと機能しておくということが私は大事だと思います。
 そのためにも、ヘリによる情報把握というのはとても大事なので、県内で何が起こっているのかについて把握することがとても大事でした。
 28日によその県のヘリコプターに乗って、その午後に全貌を把握しつつ、戦力を展開したわけですけれども、私自身はその次の日の朝に改めてヘリに乗って情報把握をし、改めて点検しておこうということで、自衛隊の協力によって乗ることができました。
 ということで、今、応急対策から復旧・復興へということで、9月11日から復旧・復興推進本部で、それぞれのチームによって対応をさせていただいております。
 例えば、激甚災害の指定等につきまして、9月6日、10月11日ということで、公共土木は局激、そして、農地は本激ということになりました。中小企業についても適用になりました。さらに経産省、農水省のご支援によりまして、おおむね我々として地元に合わせたような対応というのは国にとっていただいたんではないかと感謝申し上げたいと思います。
 被災者支援チームということで、ワンストップでの総合窓口を設置して、住宅支援ということで、公営住宅、それから、民間住宅借上制度によりまして無償受け入れをさせていただいております。それから、ご自宅の応急修理の受け付けも開始して、義援金についても現在1億7,000万円集まっております。
 そして、市町支援チームにつきましては、特にボランティアの皆さん方に本当に多く活躍していただきました。そして、佐賀災害支援プラットフォームの皆さん方、それから、県外から来ていただいたCSOの皆さん方、きのうは空飛ぶ医師団の皆さん方も、今回、長野に行ったという報道がありましたけれども、佐賀県内でも大いに活躍していただいて、我々が手の届かないようなところの支援をやっていただいたことも佐賀県としては非常にありがたかったと思っています。
 さらに、農林水産業支援チームということで、油流出地区での営農再開に向けて、現在、サンプリングをしながら土壌調査をしております。それから、機械が大分沈んでしまいましたので、その修繕費用だとか、これから被災した農地、林地等の復旧、そして、土木面についても応急対応もさせていただきましたけれども、さらに今、災害査定に向けて必要な準備をそれぞれ進めさせていただいているところです。
 商工業支援につきましては、まずは資金面ということで、県のほうで復旧資金を設けました。そして、さらに国への助成制度ということで、中小企業庁さんと現場を回りながら判断させていただきまして、持続化補助金という制度ですが、県としてはさらに小規模事業者再建対策の補助金をつくらせていただいたりということで、万全を期していきたいと思います。
 それから、風評被害対策につきましても、特に武雄温泉、嬉野温泉関係で非常にキャンセルが多かったということでありまして、この「元気さが!」というのは被災地のことを思うとなかなか言いづらいところもあったけれども、被災地を支援するという皆さん方、また支えたいというさまざまな思いの中で、被災地の皆さん方一人一人に寄り添いながら、「元気さが!宿泊キャンペーン」をやらせていただいて、何とかキャンペーン開始後、2,000名の枠に到達したり、さらに追加のキャンペーンを行ったりということによって、佐賀県全体がこの災害によって沈んでいくことがないように全力を尽くしたところです。
 ということで、今後の災害対策なんですが、やっぱり我々として防災ヘリ、今、ヘリを持っていない県は佐賀県と沖縄県だけという状況の中で、情報収集をするということが第一義的に必要なヘリです。我々として、県内を熟知したヘリコプターがいち早く飛んで状況を確知する、我々は原発を持っています。何が起きているのかということをいち早く知って、効率的な支援をどこにどう配置していくのかというところの司令塔にならなければいけない。もちろん、このヘリコプターは平時はレスキューとかそういったものに使うわけですけれども、緊急時になると多くの人たちが被災するわけですから、情報収集を何よりも早くやりたい。令和3年、2年後の3月までに運航開始、それに向けた訓練も来年から始まるということで、県の消防の精鋭部隊によるチームを今からしっかり準備します。そして、このヘリコプターを編成することによって、受援もしやすくなる。よその県のヘリコプターが飛来してきたときに、どのように調整しながら展開していくのかというノウハウもこれでかなりでき上がってくるのではないかと思っております。
 それから、災害からの早期復旧に努めながらの抜本的な対応として、これはなかなか、どこまでやるのか、どこまでハードルを上げていくのかというところは、全国で課題になっていくと思いますが、我々佐賀県というのは非常に水害の多い、そもそも浸ることの多い低平地な県なので、まずは河川の掘削など河川改修を随時実施していきたいと。これから5年間、特に重点的にやっていきたい。それから、調整池ということで、六角川調整池、牛津川調整池というものを早期に着手して、水の逃げ道をつくっておきたいと思います。
 それから、農業用ため池が佐賀県にはたくさんあるんですけれども、これの総点検を改めて実施して、利用しないものはあらかじめそれ自体が水をオーバーフローさせますから、それを廃止したり、使っているものについては、危険なときには水を抜いて調整池として利用するとか、そういったことも活用しながら、防災に役立てていくことを考えています。
 それから、国スポに合わせて整備予定のアリーナ、あれだけの大きな箱なので、佐賀市内の広域的な避難拠点、防災拠点としてもしっかりと考えていきたいと思います。
 そして、佐賀鉄工所ですけれども、これは29年前と同じ事故ということで、この前、坂田社長ともよく話をさせていただきましたけれども、まず、今度こそ、二度と油を流出させないという強い気持ちのもとで、応急対策として今もこのような形で油の層、油層の周りがフェンスで囲まれております。
 そして、恒久対策として、今度はさらに敷地の外側に堤防機能を持った壁の整備を今検討されているということで、内水面が浸ることがあったとしても、油は流出しないという強い気持ちで、佐賀鉄工所さんと互いに歩みたいと思っています。
 ということで、被災された皆様に寄り添って、最後のお一人まで全力を尽くします。

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